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吃音について思うこと

絶対的と相対的、主観と客観

どもってしまった、という事実は「絶対的」。
どもったことで感じる負の情動は「相対的」。
どもってしまった、という事実は「客観的」。
どもったことで感じる負の情動は「主観的」。

吃音を治すには精神論?

吃音を治すには、精神論は必要か?答えは、いいえ。
上記でも述べましたが、私は精神論に否定的な立場です。
そもそも、身体と心は違います。密接な関係があるのは、否定しません。
ただし、基本的には「心」と「身体」は別物。
「心」で考えたことは、「身体」で体現できることが多いですが、体現できないものもあります。
「心」万能主義の精神論は、非現実的。ただし、「心」で出来る限りのことをしないと、「身体」も反応してくれないことは事実。

本当の自分はどっち?

どもらない自分が、本当の自分か?答えは、いいえ。本当の自分は、「ない」と思います。
あるのは、「今の自分」だけ。巷では、「頑張れば理想の自分になれる」っていう精神論がありますよね。
私は、あんまり好きではないです。
人はみな違います。優秀な人とそうでない人。運動が得意な人とそうでない人、流暢に話せる人とそうでない人・・など。
その延長に・・頑張れば出来る人とそうでない人がいる。
精神論を語る人の多くは、「人間社会」っていうものを知らないのだと思います。
人間社会には、いろんな人がいる。その現実を知らないのだと思いますね。
吃音者は、どもりやすい体質があるんだと思います。遺伝的なのかどうかは不明ですけど。
「どもらない本当の自分」っていう考えは・・・「脳だけ残して、身体(肉体)を取り換えたい」っていうレベルと同じ。

なぜ悩む?

例えば野球選手。野球選手は野球のことで悩むことはあっても、サッカーのことでは悩みませんよね。
それは、野球選手にとって、「野球」が関心事であって「サッカー」が関心事ではないから。
当たり前と言えば、当たり前の話。でも、これって、とっても重要な点だと思うんです。
僕ら吃音者は、「吃音」で悩む。それは、「吃音に関心があるからで、もっと流暢に話したいから」。
でも、そのハードルを下げてやれば悩みの深さも低下すると思います。
要するにうまく話さなければ・・・と思えば思うほど、悩みは深くなりどもりながらでも、話せればいいや・・と思うほど、
悩みは浅くなります。

吃音が治るとは?

吃音が治る・・とは、思うに・・・どもらない。吃音しない。。。ということでは、ないと思います。
むしろ、「どもることで悩まない」という方が妥当だと思いますね。
「吃音の定義」はご覧になられましたか? 吃音とは「どもることの他に吃音不安・吃音恐怖がある状態」です。
吃音不安・吃音恐怖がなくなって、コミュニケーションがうまくできるようになれば・・・・つまり「吃音治った」ということになる訳です。
どもることは・・誰にでもあります。ふつうの人でも、驚いたり・あせったり・ショックなことがあったり・・すれば、どもるでしょう。
ふつうのどもりならば・・それは吃音ではない、と思いますよ。
「どもったらどうしよう?」「どもったら・・・おかしな眼で人から見られる」などなど、どもることで不安・恐怖を感じることが・・いわゆる「吃音」の意味。
どもっても別に不安でもなく、恐怖も感じない・・ならば、それは「吃音」ではないと思いますね。
まとめますね。
吃音が治るとは?・・・「どもることで悩まない」ということ。 
「どもることで悩まない」とは??・・・「どもることで不安・恐怖を感じないこと」だと思います。

吃音の原因について思うこと

いろんな説がありますが・・私は「認知」が原因じゃないかと、思ってます。
吃音って、「ぼ、ぼ、ぼく」とか、言葉がどもるじゃないですか。「ぼ」と一度言ってるんだから、繰り返す必要はまったくないですよね。
でも・・これを繰り返してしまう。。。そういう意味から、「ぼ」という言葉を認知できていないんじゃないか?って思う訳です。
「吃音」のときは、妙な感覚になりませんか?敗北感・惨め感・情けない感・・・なんというか、まさに負の情動。。
この感覚が「悪」なのだと思うんですよ、私は。その感覚が吃音を維持・悪化させている原因だと思うんですよ。
だって、おかしいと思いませんか?ふつうの人はどもっても、「かんじゃった〜」程度の感覚。
吃音者の場合は、「やべ〜、どうしよう。。オドオド」的な感覚。
この吃音者のいわばおかしな感覚が、吃音を維持・悪化させている最大の要因なのだと思うんですよ。。。
だから、吃音の改善方法としてはこの「負の情動の消去」が最大のテーマなのだと思うんです。。。

吃音について思うこと

吃音は単に言葉がどもるよりも、心の部分が非常に大きいですよね。
どもったら、どうしよう??人から変な眼で見られたら・・。笑われるかもしれない・・。と、不安になって、すべてが消極的になりますよね。
恋愛や結婚、就職、転職など、いろいろ消極的になっていく。。。
吃音が原因でひきこもり・・とか、結構多いと思います。あと、吃音が原因でうつ病、精神疾患なども多いと思います。
私の吃音の友人も、20代で精神疾患になり、リストカットや自殺未遂を繰り返し最後は、自ら命を絶ちました。
私も学生時代に、吃音不安がすごくあって、自殺の誘惑にかられて、その方法をネットでよく検索してました。
ただ、私の場合、22歳の時に、逝く前にできることは何でもやってみよう、って決意して、それから人生が変わりました。
吃音でなかったら、人生は変わっていたと思います。でも、その吃音がなかったら、今の私はいない、とも思います。
吃音があったからこそ、「話す」っていうことに関心が出て吃音があったからこそ、「心」にも関心が出て吃音があったからこそ、「生きる」ってことに「執着」が出たのだとも思います。
吃音を治したい、っていう思いは、生きるパワーにもなると思います。
皮肉なことですけど。。。。吃音があったからこそ、人生が豊かになった・・・そんなふうに思えるようにしたいですね。。。